〈中村桂子のつぶやき──第十一回〉「年明けは基本に戻って土を考える」2022.1.8
2022年が明けました。お正月はお天気がよく、真っ白な富士山が輝いて見えるよい年明けでした。日本人ですね。富士山がきれいな日は気分が晴れます。今年もよろしくお願いいたします。
緑との関わりは人間がこの世に誕生して以来続いてきたものであり、これからも変わることなく続いていくのですから、日常のこととして地道に考え、行動していきたいと思います。とはいえ一方で、異常気象など地球規模の現代的課題とのつながりも意識しなければなりませんので、なかなか大変ですけれど。
今回は、年明けということで原点に戻ってみたいと思います。先回、アフリカでの農業について書きました。実は、アフリカの農民がいっしょうけんめい働いているのを見る度に思ったのは、「日本の土を持ってきてあげたい」ということでした。アフリカではラテライトと呼ばれる鉄やアルミニウムなどの酸化物がたくさん入っている紅色の土が広がっています。堅くて見るからに生産力が低そう、事実そうなのです。ここの人達は、あのふかふかで真っ黒い土を知らないのだろうなと思うと、日本は本当に恵まれた国だと感謝の気持ちが湧いてきます。
地球は水の星であると言われますが、土も地球にしかありません。最も46億年前に地球ができた時には土はなく、岩石だけでした。岩石が長い間に風化し……これでは砂になるだけです。地球にだけ土があるのは、38億年前に生きものが生まれたからです。土は生きものが長い時間をかけて作ったものなのです。ですからそこの気候や生息する生物によってでき上がる土が違います。場所によって変わるのは当然です。今も土の中にはさまざまな生きものが棲息していますから、どんな生きものがいるかによって、同じ場所の土も変わっていきます。
土をつくる材料は砂と落ち葉ですが、これを混ぜても土はできません。土はとても複雑でまだその構造がよくわかっていないのです。あまりにも身近なので却って研究が進まず、しかも複雑で難しいものというわけです。はっきりしているのは、土に棲む生きものたち……微生物やミミズやモグラなどの動物が土の生成に重要な役割をしていることです。実は、進化論で有名なダーウィンは、生涯ミミズの研究を続け、最晩年に「ミミズと土」という本を書いています。とても面白く、私の大好きな本ですのでいつか紹介させて下さい。
最近、人間が機械と人工肥料を用いて農業を効率化し、生産性を上げようとしてきたことによる土の劣化が問題になっています。研究としてはとても地味な分野ですが、大きな問題なので、やっと土の研究が注目されるようになりました。豊かな緑は豊かな土地あってものですから、緑への関心を土への関心にまで広げなければ本当のことは分からないと言えるでしょう。しかもそこから面白いことや問題点がたくさん見えてきますので、追い追い土の大切さにも触れたいと思います。
お正月に庭でお隣の石上先生にお会いしましたら、「モグラがいるんですよ」とおっしゃいました。続いている我が家の庭にも、モグラが作ったに違いない土の盛り上がりがあります。荒らされて困るというほどではありませんので、まずはこのまま様子見です。
ところで、この欄は「つぶやき」ではありますが、お読み下さって思いついたことなどを書き込んで下さると、書く意欲がわきますし意見交換にもなります。ぜひ、一言お願いいたします。元気づけとお思いになって。
〈臨時のつぶやき〉2022.2.5
都市計画審議会のメンバーはどういう方ですか。
東京という街を知っている人なら神宮外苑に高層ビルを立てるという発想は、決して出て来ないはずです。明治時代が始まり、東京が日本の首都として、世界に向けて活躍できる人を育て、街としても魅力があり、しかも日本らしさを示す場となる。その核としての存在が、神宮を中心にしたあの場所です。その中心になったのが「緑」であることは、誰が見てもわかります。150年を経て、緑は育ち、構想した人たちが思い描いた姿になってきたところでそれを壊すとは、決して許されることではありません。先達は、日本はそのような情けない国になってしまったのかと嘆くでしょう。
歴史を知り、それを踏まえて未来を考えるのが「計画」でしょう。街の歴史を思い、異常気象やコロナウイルスのパンデミックを体験しながら考える東京の「計画」が高層ビルでないことは、明々白々です。
私が子供のころから親しんできた素晴らしい緑を壊されるのも、個人的にとても悲しいですし、バカなことをなさらないで下さいという気持ちです。
もう一度、よく考えて下さるよう、声を上げることが大切です。
<中村桂子のつぶやき―第十二回> 「風と水と生きものと」2022.2.26
映画「杜人―環境再生医・矢野智徳の挑戦」をご紹介します。作った前岡せつ子さんは環境や食に関する編集者で、これが初めての映画です。2014年に国立市が街路樹の桜を大伐採することにした時、出会った造園家の矢野智徳さんの考え方を多くの人に伝えたいと思って映画を作られたとのことです。
矢野さんは、傷んだ植物があると、周囲からそこへ向かって流れる風の道をつくり、土に水の道をつくります。小さなノコギリ鎌で周囲の草を刈り、移植ゴテで土に穴を掘って水の道をつけると、それが遠くの山にまでつながり、その地域全体が息を吹き返して生き生きします。その効果の見事さは、驚くばかりです。
前田さんは、たまたま生命誌に関心をもち、私の書いたものを読んで下さっており、映画のチラシ用のコメントを求められました。
「小さな移植ゴテで土に語りかけると、それに応えて風や水が大きく動くことに驚きました。植物をはじめすべての生きものが生き生きするのです。矢野智徳さんのお仕事を見て、生きものである私たち人間の“地球での生き方”はこれだとわかり、これから自信を持って生きていけそうです」と書きました。
小さな映画館で上映されるものです。実は私も「風と水と生きものとー中村桂子生命誌を紡ぐ」という映画を、全国の全く同じ映画館で上映していただきました。期せずして、「風と水」。生きものを見つめていると大事なものはこれと分かるということでしょうか(ふと、コロナもマスクと手洗い、まさに風と水だと気づきました)。矢野さんに教えられて、多くの方が風と水の道をつくり、植物が生き生きする場を作っていく様子を思い浮かべると、まさにこれからの生き方はこれだと思えます。
神宮の森は、都会の中で風と水を感じられる数少ない素晴らしい場です。署名もたくさん集まっており、都も知らん顔はできないでしょうが、愚かなことを平気でやってきたオリンピックがらみの人たちの力に立ち向かうには、署名をもっと増やして石川先生を応援する必要がありますね。
矢野さんのお仕事の広がりが、神宮の緑の問題にもつながることを期待しながら、身近な緑を大事にしていこうと思っています。
<中村桂子のつぶやきー第十三回> 「権力や武力より緑の力」2022.3.29
先日の日曜日は久しぶりのオープンガーデンを楽しみました。一応コロナの「まん延防止等重点措置」は解かれましたがマスクははずせませんし、手放しでの解放感を味わうところまでは行きませんでしたけれど。でも、暖かさと柔らかさを増した空気は気持ちよいですし、この日を待ちかねたように一斉に開いた花たちも、人の訪れを喜んでいるようでした。とくに、前々日に庭に出た時(前日はお天気が悪かったので)にはまったく咲いていなかったニリンソウがみごとに開いており、あまりのタイミングのよさに「やりますね」という他ありませんでした。いらして下さった方たちは皆さん笑顔で楽しい時を共有できました。
緑の大切さは、環境問題として、額にしわを寄せながら議論するよりも、このように皆でニコニコしながら楽しむ場として考える方がよいといつも思うのです。環境問題となると、経済性の面から開発という答えを出す人を説得するのが難しい場合が少なくありません。コンクリートの高層ビルの中にいる時と、森の中にいる時の心の豊かさということになったら答えは変わるでしょう。緑は、お互いを大切に思いながら笑顔で暮らす日々を生み出しますから。
コンクリートの環境は、権力、財力、武力を持つことを求める人をつくります。そういう人たちが世界を動かす社会はお終いにして、緑の中で本当の豊かさを楽しむ社会にしなければ未来はないのではないか。テレビの中で泣いているウクライナの子どもを見て、これはやってはいけないことだと分かっているのに止められない無力感に悩みながら、やはり緑の力を信じて行動することだと考えていました。
補)神宮外苑の問題は、高層ビルなどとんでもないことですので環境としてはっきりノーを言う必要があります。庭を眺めながらの今日の文は、少し長い目で見た時の気持ちです。両方を行ったり来たりしながらの日々です。
<中村桂子のつぶやきー第十四回> 「豊かな緑は文化を支えるもの」2022.5.30
月に一度ほど書きたいと思いながら、このところさぼっています。言い訳をするなら外苑の問題が持ち上がり、
聞けば聞くほどお金の話でしかないことが分かってきて気が滅入ってしまったのです。
計画を見ますと、外苑の雰囲気(文化)を支えてきた草野球を楽しむ場を中心とする開かれた運動の場が消され、高級クラブになるであろうテニスコートが中央に置かれています。緑の問題は重要ですが、日本は誰もがいつでも楽しめるスポーツ施設が少なく、その意味で先進国とは言えないと思ってきましたので、外苑まで取り上げられるのは本当に残念です。スポーツ大国とは、オリンピックで勝つことではなく(そう考えてドーピングまでしているのがロシア)、誰もがいつでもスポーツを楽しめる用意がされていることだと思いますので、ますますそこから遠ざかり、日本は文化の貧しい国になるでしょう。
緑は、そこに住む人の文化度を高める役割を持つもので、緑に無関心の人は文化にも無関心なのだと、今回の計画を見てつくづく思いました。崖線の緑は、豊かな文化を支えているのではないでしょうか。大切です。
〈中村桂子のつぶやき──第十五回〉 「『農から食へ』の大切さ」 2022.8.11
38度と言えば、体温としてもこりゃ大変とベッドに横になるという温度ですのに、連日関東地方のどこかがこれを越す気温になっています。とんでもない夏ですが、お変わりなくお過ごしでしょうか。我が家は、終日窓を全開にしておりますと、幸い風が通り抜けてくれますので、かき氷で体の中から冷やしてホッとする時を楽しんだりしながら日々を過ごしております。一雨欲しいですね。
時々書きますと言いながらサボっていましたのも、なんだか世の中がメチャメチャで、緑を大切に過ごしましょうという言葉も空しく響くような気がしてのことです。コロナ、異常気象、戦争、政治の混乱、大企業の不祥事などなど。この一つ一つへの対症療法ではなく、人間にとって大事なのは権力でもお金でもなく「いのち」ですよねという基本に戻るしかないでしょう。そこでは地球上のいのちを支える緑は大切なものとして浮かび上がることは忘れずにいなければなりませんね。
ロシアのウクライナ侵攻によってより明確になったのは、食べものの安全保障です。細かいことは省きますが、今「農から食へ」という流れを意識し、この基盤をしっかりすることが大事です。崖線のお仲間から、喜多見の農園活動が立ち上がりましたね。私自身、現場へ伺ったことはないのですが、緑を考える柱の一つとしてとても大事な活動だと思っています。地域の人々が「農から食へ」の重要性を意識することになりますから。崖線全体として考えるとよいかなと思っています。皆さまのお考えお聞かせ下さいませ。
〈中村桂子のつぶやき──第十六回〉 <みどりをすべての基本として> 2022.12.9
思うことを書きますと申しながらさぼり続けておりますことお許しくださいませ。つい怠け癖が出るのです。
コロナウイルスがなかなか収まらないために会合が開けないこともあり、皆様お一人お一人の活動に頼る状況が続いており、これもお詫び申し上げます。今置かれている状況の中で、崖線という独特の場を活かして何がやれるか、何をやることが大事か、何がやりたいか。そんなことを考えていますが、皆様のお知恵が必要です。気を付けながら話し合いの場が持てるとよいのだがなどと思っておりますが、いかがでしょうか。
「みどり」を巡ってさまざまな問題が出ているのは、私たち人間が生きものであるというあたりまえのことが、今の社会では無視されているからだと思っています。神宮外苑の問題がまさにそうです。石川先生を中心にした精力的な活動で少し良い方向が見えています。嬉しいことで、応援を続けたいと思います。
今年最も考え込んだのは、ロシアのウクライナ侵攻でした。内戦、民族間の争いなど戦いは絶え間なく続いており、それももちろん問題です。けれども、大国が先端技術を駆使して民間を巻き込む戦争を始め、核兵器も使いかねない様子を見せるとは。人間の愚かさを目の当たりにさせられているとしか言えません。人間という生きものの最も大事な特徴は、共感であり、そこから生まれる信頼だということが分かってきています。それなのに、近代になって、拡大・成長ばかりを求め、力の競争で勝つことをよしとする間違った道を歩いてしまったわけです。
ここで、人間(ホモサピエンス)という生きものの賢い生き方を改めて探るなら、森や草原が原点だということを思い起こさなければなりません。「みどり」こそ暮らしの基本であり、「みどり」を活かしていくのが賢さなのです。
ていねいな落ち葉掃きなど(今年私は忘れていました。ごめんなさい)、日常できることは限られています。でも、社会を動かしている政治家や企業人が、緑の大切さを身に染み込ませ、そこから考え始めるようにするには、小さな活動を丁寧に広げていくしかないと思うのです。
伊藤さんが、”世界土壌デー“に土の話について書いて下さったコメントお読みいただけたと思います。実は伊藤さんは、生命誌研究館のホームページにある私のコラム”ちょっと一言“で、つぶやきでの土の話を紹介して下さったのです。それを読まれた、こうちゃんが
「崖線みどりの絆・せたがや」に入り、そのことを研究館のホームページに投稿して下さったのです。あちこちと複雑ですが、このような形で広がりができるのは本当に有難いことです。更なる広がりができますことを心から願っております。
来年を少しでもよい年にするにはどうしたらよいだろう。小さな活動のご提案をお願いいたします。年末年始お忙しいことでしょう。お大切にお過ごし下さいませ。
中村桂子