〈中村桂子のつぶやき──第一回〉「自己紹介」2021.6.4
その頃、二軒先でマンション建設が始まり、更地になったところに古墳時代の横穴が現れるのを眼にし、奥に壁画があることを知った時は、なんと面白い場所なんだろうとわくわくしました。わが家の下にも横穴があるはずだと思い、歴史とのつながりを感じながら暮らす喜びを味わっています。
地震研究の権威に、古代人が暮らしていた場所は地震に強いんですよと教えていただき、よかったと思っています。昔の人は、私たちよりも自然についての知識が豊富だったに違いありません。この地に暮らしていた人々の日々についても学びたいと思っています。
たまたま縁あって、歴史と自然を実感できる国分寺崖線に暮らす一人として、ここを大事にしていらした方々のお仲間に入れていただいたのはありがたいことです。
これからの社会では、「緑の持つ意味」がますます大きくなっていくに違いありません。長い間、「人間は生きものであり、自然の一部である」という事実を基本に置く「生命誌」の視点から勉強を続けてきた者として、「緑に支えられている私たち人間」というテーマで小さなコラムを書いてみたいと思い立ちました。どんなことが書けるか、ちゃんと続けられるか、怪しいところもありますが、よろしくお願いいたします。
〈中村桂子のつぶやき──第二回〉「上から目線でなく、中から目線で」2021.6.14
第一回目は崖線住人としての自己紹介でした。第二回目からは「生命誌」という私の専門を通して、「緑について考えること」を少しずつ書いていきたいと思います。
半世紀ほどの間、考えてきたことの基本は「人間は生きものであり、自然の一部である」という、とんでもなくあたりまえのことです。なぜこんなあたりまえのことを考え続けているのか、基本を表現した絵図(生命誌絵巻)で説明します。
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大切なのは次の四つです。まず扇の天に描いてあるさまざまな生きもの。「生物多様性」と言われますが、とにかくいろいろなものがいます。名前がついているものだけで180万種。あとで触れますが、実際には数千万種いるとされます。名前のついているのはほんの数%なのですから、自然については知らないことがほとんどだと思い知らされます。知られていない種のほとんどは、熱帯雨林、つまり森の中にいます。緑の大切さの基本が多様な生きものを支えているところにあることは明らかです。ところで、これほど多様な生きものも、すべてが「DNAを遺伝子とする細胞」でできていることはもう誰もが知っている事実ですね。たまたまそうなったとは考えにくく、調べた結果祖先は一つとわかりました。地球上最初の細胞がいつ、どこで生まれたかはまだ解明されていませんが、38億年前の海には細胞がいたと考えられますので、扇の要は38億年前。そこに祖先細胞がいます。扇の天に描かれた生きもの(もちろん描いてない生きものもすべて)は要にある祖先細胞から進化してきたのです。
生きものすべての祖先は一つ。これが二つ目の事実です。これは「どの生きものも38億年という長い歴史あっての存在である仲間」であることを示しており、生きものに高等とか下等とかいう考え方はあてはまりません。アリとライオンとを比べてどちらが優れているかと考えても意味がありません。アリはアリ、ライオンはライオンとして見事に生きている。これが生きものの世界です。人間も生きもの、一人一人がその人らしく生きているのであって比べても意味がない。生命誌の大事なメッセージです。絵巻から読み取る三つ目はこれです。
そして四つ目。「人間も扇の中にいる生きものの一つ」ということです。あたりまえですが、今の社会では人間はこの扇の外、しかも上の方にいて、他の生きものたちを見下ろしてはいないでしょうか。「地球に優しく」という言葉はすばらしく聞こえますが、実はこの言い方は他の生きものたち、つまり自然を上から見ています。人間だけ偉そうな「上から目線」です。実際は、私たち人間は生きものたちの中にいて、「中から目線」で多様性を見ていかなければ地球上で上手に生きることはできません。さまざまな生きもののいる地球に優しくしていただけるよう、こちらも優しくというのが実態でしょう。
緑について考える出発点は、ここに挙げた四つの事実を踏まえた「中から目線」の共有にしたいと思っています。
いかがでしょうか。
〈中村桂子のつぶやき──第三回〉「奇跡とも言える光合成の始まり」2021.7.4
38億年前に海で生まれた細胞が生命の始まりであり、以来生きものは途切れることなく存在し続け、最後に、と言っても20万年ほど前に、私たちの直接の祖先が誕生したという歴史の中に私たちはいます。
まわりに緑の樹木があり、季節ごとに美しい花が咲く道をワンちゃんと一緒にお散歩するという日々をあたりまえのこととして過ごしていらっしゃると思いますが、生きものの歴史(生命誌)を見てきた私にとっては、これはある種の“奇跡”です。
科学者が奇跡などと言う言葉を使うと叱られそうですが、ここでの”奇跡“は、”こんなことがよくぞ起きたものだと驚くことが起きた“という意味です。生きものの歴史ではそういうことが何度もありました。そもそも地球上に生きものが生まれたことが奇跡ですよね
生きものは、食べものがなければ生きていけません。生きるにはエネルギーが必要であり、食べものはエネルギーの素です。最初に生まれた細胞は、海の中にある有機物を利用し、発酵によってエネルギーをつくり出していました。けれども海の中にある物質には限りがあります。このやり方ではいつか食べものがなくなり、生きものは消えるしかありません。ところがそこで、太陽光のエネルギーを利用して分子をつくりエネルギーを生み出すバクテリアが生まれたのです。よくぞこんなことができますねと驚く能力です。30億年以上前とされます。細かなことは省きますが、その後光のエネルギーの使い方がだんだん上手になり、理科の時間に習う光合成ができるバクテリアが生まれます。シアノバクテリア(藍色細菌)と言います。これが後に植物の葉緑体につながります。
太陽光
↓
H2O(水)+CO2(二酸化炭素)── 炭素化合物+O2(酸素)+エネルギー
昔の理科のことなど忘れていらっしゃるかも知れませんが、この式を改めて眺めて下さい。大気の中にたっぷりあるCO2(二酸化炭素)とこれまたどこにでもあるH2O(水)と光があれば、自分で食べものを作り、生きていくためのエネルギーを手に入れ、自分の体づくりができる。まさに自立であり、自律の道ができたのです。もしこの能力を手にしなかったら、生きものの世界が続くことはなかったでしょうし、もちろん私たち人間も登場するはずはありません。
光合成といえば、反射的に植物を思い浮かべますし、もちろんそれは大事なことなのですが、それ以前に、もしこの能力が生まれなければ私たちは存在しないのだということに気づいていただきたいのです。光合成は、生きものを生きものとして存在させる基本的なはたらきであることを忘れてはなりません。よくぞ起きてくれた奇跡と言ってよいと思うのです。緑の葉っぱを見ながらそんなことを考えて下さるとありがたく思います。
次回には、ちょっと寄り道をします。
〈中村桂子のつぶやき──第四回〉 「ちょっと寄り道──人工芝」2021.7.26
雑誌を読んでいたら思いがけない事実が書いてありましたので、ちょっと寄り道をして、緑を巡ってもいろいろな問題があるということを考えます。周囲に緑があると落ち着くというのが普通だと思うのですが、最近は、落ち葉が面倒だからと樹木を邪魔扱いする人も出てきました。そのような風潮の中で、増えているのが人工芝です。
ところで、雑誌に載っていたのは人工芝とゴミの話です。ゴミ問題を考える中で、最近海洋プラスチックが話題になっているのはご存知だと思います。廃棄物は社会・生活のさまざまな側面を反映するものであり、時代と共に量だけでなく種類も変化してきています。最近話題になっているものがいくつかあり、温暖化ガスももちろんその一つです。その他、食品ロスと呼ばれ食べられるのに棄てられてしまう食品が年間600トンとか、役目を終えたロケットや宇宙船が宇宙ゴミとなり、小さなものを入れると50万個もあるとか、悩ましいテーマが次々出てきています。その一つが、水中のマイクロプラスチックなのです。
マイクロプラスチックとは、直径5㎜未満のプラスチック断片や粒子をさし、その元はさまざまです。思いがけない事実とは、我が国の河川や港湾で調べられたマイクロプラスチックの20%が人工芝だったということです。多いとお思いになりませんか。
私はちょっとびっくりしました。
校庭に人工芝を敷こうという話は、よいことと受け止められているのではないでしょうか。私が小学生の頃の校庭は土でしたが、だんだんコンクリートが増えていきました。泥だらけになる土か、転ぶと痛いコンクリートか。サッカーが盛んになり、きれいな芝の上でボールを蹴る姿がカッコよく走りやすそうだと皆が思うようになりました。校庭も芝にしたらすばらしかろう。そんな考え方が出て、実際に試みた学校もあります。でも芝はヨーロッパの草で、日本の風土には合いませんからきれいな緑にしておこうと思ったら手入れが大変ですよね。しかもゴルフ場の例でわかるように、頻繁に肥料や薬をまかなければ美しい芝は保てません。土や水の汚染など問題山積です。そこで思いついたのが人工芝です。管理が簡単で安上がり。生きものの眼で考えれば、日本の草が生える原っぱにすればよいはずで、私はそれが答えだと思うのですが、現代社会では人工芝が選ばれます。子どもたちのために人工芝をという社会貢献運動も盛んになりました。けれどもその破片が水路から流出し、マイクロプラスチックの20%を占めると聞くと、やはり答えは原っぱではありませんかと思います。
私が子供の頃遊んだ原っぱを思い起こさせてくれる好きなところは、昭和記念公園です。生きものの本質を理解していらした昭和天皇を記念しようとしたらこうなったのでしょう。広い原っぱで遊ぶ子どもたちは元気で可愛く、見ていて厭きません。サッカー場やゴルフ場は原っぱとはいきませんでしょうけれど。
緑の問題はこういうところまで目配りが必要だと思い、寄り道をしました。
〈中村桂子のつぶやき──第五回〉「光合成の力は地球全体で」2021.8.15
天気予報は連日猛暑日を告げています。確かに暑いですが、我が家は来客時以外空調を使いません。各室の窓を開け、風が家の中を通り抜けるようにするのが朝一番の仕事です。雨の心配がない時は安全な高窓などは夜も小さく開いたままにしておきます。原稿を書くなど机に向かっての仕事は、その日の風向きによって場所を決めて始めます。これができるのは緑のお蔭であることはもちろんです。最近は、ミンミンゼミの声に混じって時々ウグイスの声が聞こえるなど、なんだか季節感がおかしなところもありますが、眼に入る緑と聞こえてくる音を楽しむ日々です。
崖線の緑を大切にしようという気持ちの一つは、このように暮らす場所を快適にしたいという身近な話です。ただ、“つぶやき”としては、それと共に光合成という、大げさに言うならこれからの社会の基本を支える力を持つ場としての大切さも考えていきたいのです。
身近なことと地球全体やこれからの社会という大きな課題とを結びつけて考えることが、今とても大事になっています。これまでは、地球全体のことは偉い方や専門家が考えてくれるので任せておこうという社会でしたが、これからは違います。たとえば、新型コロナウイルス感染拡大は、一人一人が「私のこと」として考えていかなければ解決しない問題です。緑についても、一人一人が、日常の安らぎと共に、地球生態系についても考える時代です。そこで、光合成を考えているわけです。
ところで、緑と言えば森となりますが、地球生態系を考えるとなると、もう一つ忘れてはならないところがあります。海です。陸上の植物たちの光合成の量が600億トンであるのに対し、海の中での光合成の量は400〜500億トンと言われています。ほぼ同じといってもよい力が海にあるのです。実は光合成で作り出される酸素で測っても、半分は海で作られています。
陸上の緑は目に見えるのでよくわかりますが、海に森はありません。光合成をしているのは海の表面近くに浮いている小さなプランクトンなのです。海中の魚やクジラなど目に見える生物の量は全体の2%、98%はプランクトンなのだというから驚きです。クジラもプランクトンを食べていることはよく知られていますね。陸上の森について知る前に、水の中の緑のはたらきも地球生態系を支え、私たち人間が生きることを支えているということも知っておくのは大切と思っての“つぶやき”です。
先回、海を汚すマイクロプラスチックのことを書きましたが、森を守るのと同じように、プランクトンが元気でいられる海を守ることは、光合成という切り口で見ても大事なのです。
次回もう一度水中の生きものを具体的に見ていきたいと思います。
〈中村桂子のつぶやき──第六回〉「もう一度だけ水の中を」2021.9.8
緑の森を考える時に、陸はもちろんですが、水の中にも目を向ける必要があると書きました。
海の中の森としてまず思い浮かぶのが、サンゴ礁です。サンゴ礁は一見大きな植物のように見えますが、小さなポリプが集まって群体をつくっているのです。ポリプはプランクトンを補食しますが、時に光合成をする褐虫藻をとり込んで共生させます。自身の栄養分を得るためですが、サンゴ礁は光合成をする場になるのです。しかもサンゴは、海水の中にある二酸化炭素とカルシウムを炭酸カルシウムの形で固定する能力もあります。炭酸カルシウムは立派な骨格になります。
近年、サンゴの白化が問題になっていますね。環境ストレスがかかると、せっかく共生している褐虫藻が光合成を行わなくなり、サンゴはそれを放出してしまいますので、本来のサンゴの姿である炭酸カルシウムの白い骨格が見えてくるのです。ストレスがなくなるとまた褐虫藻がもどってきますが、ストレスが続くと白化が続き、サンゴは死んでしまいます。温暖化による温度の上昇、土砂の混入など、今さまざまなストレスが世界のあちらこちらでサンゴの白化の原因となって問題視されています。日本でも、特に最近の土砂の投入による沖縄のサンゴ問題は、緑の大切さという視点からも関心を必要とします。
サンゴ礁は陸上の森とまったく同じに、さまざまな生きものの暮らす生態系をつくる大切な場です。テレビで、サンゴ礁で泳ぐ美しい熱帯魚が映し出される度に、人間だけの都合でここを壊してはいけないと思うのです。
サンゴ以外にも、海には森に近いものがあります。実は先日新聞でこんな記事が目にとまりましたので、ご紹介です。
コンブは、よいおだしの出る有用な食品ですが、植物の仲間で光合成をします。コンブに注目して海の環境を守る活動をしているグループも日本中のあちこちにあります。
横浜市の「里海イニシアティブ」もその一つ、コンブを養殖して二酸化炭素の吸収と酸素の生成によって海の環境をよくする活動をしています。ところが、毎年6.5トン採れるコンブの活用に頭を悩ませていたのだそうです。
そこで考えたのが、入浴剤として使うこと。銭湯で、長さ4mものコンブをネットに入れて浴槽に沈めたところ。ミネラルが溶け出してお湯が滑らかになり、好評なのだそうです。スープの中にいる気分かなとちょっと気になりますが、肌はすべすべになりそうですね。小さな活動でも楽しくやっていくことが大事だなと思います。
銭湯の話から入りましたが、コンブもなかなかのものです。見た通りで、褐藻と呼ばれ、確かに黄褐色をしていますが、葉緑素を持っており、光合成能力は非常に高いのです。もちろんコンブ以外の海藻にも葉緑素をもつものはたくさんあります。藻類は分類上植物ではありませんが、コンブがユラユラ揺れている様子は、海の中の森にも見えます。
水の中の光合成で、もう一つ注目されているのがミドリムシ。0.1ミリほどで池、沼、田んぼなどにいます。植物を飲み込んだので光合成能を持ち動き回るところが面白い生き物です。ユーグレナとも呼ばれ、最近これを大量に培養して飛行機を飛ばそうなどという人も出てきましたね。バイオテクノロジーはまたどこかで触れることになると思います。
まず水の中で始まった光合成が陸で行われるようになって、私たちの生活はそこにあるわけですが、水の世界も大切ということの再確認でした。サンゴもコンブを含む海藻もミドリムシも、知ると面白いことがまだまだたくさんありますので、ご自身でお調べになるのも楽しいと思います。
〈中村桂子のつぶやき──第七回〉「樹を見て長い時間を考える」2021.10.4
これまでの流れの中では、またちょっと寄り道のように見えますが、実は本質的なことなので、今回は時間のことを書きます。
崖線の緑について考える私たちにとって今必要なことは、「短期思考」を止めて「長期思考」にすることです。もちろんこれは、私たち仲間だけでなく、私たち人類すべてに必要になっていると言ってよいでしょう。私が、「○○の一つ覚え」と言われそうと思いながら、口を開けば「生きものは38億年の歴史をもっています」と言うのも、私たちは長い時間の中にいるのだということを忘れないでいただきたいためなのです。60年もの間、「38億年の歴史をもつ生きもの」に付き合っての仕事をしてきましたので、長い時間の大切さは私にとってはあたりまえのことなのですが、多くの方にはなかなかあたりまえにはならないところが悩みです。
ところで、身近なところで長い時間を感じさせる最もよい例は樹木です。日本では屋久島の縄文杉が有名ですね。高さ30m、周囲は16mほどで3000年以上の樹齢とされています。確定ではないようですが、最近の科学を用いた検証からも、2500年以上であることは確かなようです(仕事で屋久島へ行った時、是非出会いたいと思ったのですが、天候が悪く、時間の制約もあって無理だったのが今も残念です)。紀元前からの歴史を知っているのだと思うと、その重みを感じます。
ニューヨークにあるアメリカ自然史博物館には、切断したセコイヤが置かれています。1891年にカリフォルニアで伐採されたもので、高さ100m、根元での周囲は27mある大木だったそうで、年輪が1342数えられます。アメリカ大陸の原住民の暮らしを見てきた樹です。
数千年という時間は、宇宙、地球、生きものたちの歴史である億を単位とする時間の中では決して長いものではありません。でも腕に時計をつけ、時に秒刻みで仕事をする現代の時間感覚から脱け出して、長い時間でものを考える入り口として樹木は大切です。
私たちの身近なところにも、100年を感じさせる木はたくさんあります。公園を散歩しながら、街路樹の間を車で通りながら、木が持っている長い時間を感じるように心がけると、「長期思考」に近づけるはずだと思います。
もちろん、国分寺崖線には長い時間が入っています。これを大切に思う気持ちは、眼の前のことだけに振り回されない生き方につながります。
〈中村桂子のつぶやき──第八回〉「身近な樹木にも意外な面白さが」2021.10.27
一週間前まで半袖を着ていたのに、今日はダウンジャケットの人が街を歩いています。キンモクセイが少し早く咲いたと思っていたら、また二度目の花を咲かせています。夏から秋へと季節が移り、木々が紅葉し、その葉が少しずつ散り始めて冬へと向かうという季節のうつろいこそ日本文化の基本ですのに、このところそれがはっきりとしなくなっています。春もそうでした。このような年が続くと、「秋きぬと目にはさやかに見えねども」などという微妙な感覚を時を超えて共有できる喜びが消えてしまいます。残念です。
こんなことになったのは、人間が自分勝手にふるまい、事を急ぎ過ぎた結果とわかっているのですから、今大切なのは「長い時間」に目を向け、落ち着いた暮らし方へと切り替えることではないでしょうか。先回も、屋久杉やセコイヤを例に樹木が長い時間を感じさせてくれると書きましたが、実は人間との関わりとしての長い時間を一番みごとに語っているのは、意外にも身近なイチョウだと知りました。世界的に有名な英国のキュー植物園園長をつとめたピーター・クレインが書いています(『イチョウ──奇跡の2億年史』 ピーター・クレイン(河出文庫)。
2億年ほど前に生まれたとされるイチョウは、世界中に広く分布していたのですが、新生代初め頃になぜか消えてしまったのです。気候の寒冷化や乾燥化が衰退を引き起こしたと考えられますが、これほど徹底的に消えた理由はよく分かりません。イチョウのタネの周囲の果肉部分を食べてくれていた動物がいなくなったのかもしれないとも考えられています。中国ではハクビシン、日本ではタヌキが果肉を食べていることが知られていますけれど、これらが種子を拡散してくれていたたかどうかはわかっていません。これからの研究に俟つところです。
いずれにしても、野生のイチョウは中国の一部にしか残らず、それが日本に入ってきたことは分かっています。日本人はイチョウ好きなのでしょうか。よく研究され、平瀬作五郎が世界で初めて泳いでいる精子を発見し、受精の様子を観察しました。1896年の大発見です。そう言えば東京都のマークもイチョウですね。
現在世界中で見られるイチョウは、中国から日本を経由して広められたもので、皆人間が植えたものなのです。自生のイチョウは中国にしかありません。確かに日本でも自然の森にイチョウはありませんね。欧米には巨木もないとクレインは書いています。日本人が大事に育てたので、今世界中でイチョウを楽しめているのだと思うと、ちょっとよい気持ちになります。
身近にあるイチョウの木がちょうど葉を黄色くし始めています。こんな身近な樹が2億年という長い時間をかけて数奇な歴史を送ったのだと思うと、この樹と一緒にこれからも長い時間を送れるようにと願わずにはいられません。このようなことを知ると、自ずと人間のせっかちな暮らしのために緑を壊すのは人間のこれからにとって好ましくないと思えてきませんでしょうか。
〈中村桂子のつぶやき──第九回〉「2030年までに森林破壊ゼロ……できるかしら」2021.11.18
イギリスのグラスゴーで開催されたCOP26(気候変動枠組条約第26回締結国会議)は、どなたも関心をお持ちのことと思います。世界的には新型コロナウイルス・パンデミックが収まらない中で世界120カ国以上の首脳が集まったというのですから、世界各国の関心の高さがわかります。
温暖化ガスの発生を抑えて気温の上昇を止めなければ、すでに起きている気象の異常はますます激しくなりそうとは誰もが思うところです。そこで、エネルギー問題として、二酸化炭素発生の抑制などが真剣に語り合われてきたわけです。その中で、今回は森林破壊についての決議があったことがちょっと眼を引きます。二酸化炭素を吸収する自然の力に着目したのですから。「2030年までに森林破壊をゼロにする」という「グラスゴー・森林と土地利用に関するリーダー宣言」に100カ国以上の首脳が署名しました。もちろん日本も入っています。
森林の破壊が特に大規模に見られるのは熱帯雨林です。その地域の人の食糧生産のために農地にされているところもありますが、先進国が求めるパーム油、カカオ、大豆などの生産のために森を壊しているところも少なくありません。遠い国の森林だから私たちには関係がないと思っているわけにはいきません。イギリスが、森林破壊をした畑で作られた原料を使った商品の販売を禁止する法律を作ろうとしているようです。森林は二酸化炭素を吸収し、酸素を放出する地球浄化の場ですから、自分の身のまわりのものだけでなく、地球全体の緑への関心をもたなければならないことは当然でしょう。多くの国がこの問題に目を向けるようになったことは高く評価できます
ただ、このような会議で「○○年までに○○をゼロに」というかけ声を聞くたびに、具体的にはどうするのですかという問いが生まれてくるのも事実です。どれもこれも、生活者一人一人が自身の生活のしかたを考え、少しずつ変えていかなければ実現しないことばかりですから。森林の場合も、まず身近な緑に関心を持ち、樹木のもつ力を実感して、自分の暮らす場での緑の維持の大切さを肌で感じる人になることが必要です。気候の安定した暮らしやすい社会を求めるなら、一人ひとりが身近なところで着実に活動することでしょう。それこそ大きな力の元です。
崖線の緑を大切に思い、手入れをしたり落ち葉掃きをする方が一人でもふえることが大事だと思う気持ちの底には、それが地球のこれからにつながるという思いがあります。少し大げさでしょうか。
〈中村桂子のつぶやき──第十回〉 「グリーンインフラで思い出すこと」2021.12.18
今、グリーンインフラへの関心が高まっています。皆さまよく御存知のことですので、詳細には触れませんが、「自然がもつ機能を社会におけるさまざまな問題解決に生かす」という考え方で、具体的には都市では雨水管理、気候適応などが考えられています。世田谷でも積極的に取り入れられており、私も梅ヶ丘にあるウメトピア(世田谷区立健康医療福祉総合プラザ)の雨庭を案内していただきました。
このように本当の豊かさを求めて自然の機能を生かすことは、これから重要になると思います。その活動を地球規模で見ると、森林の維持と農業開発をいかに組み合わせるかということが最大のテーマでしょう。ここで考えられるのが「アグロフォレストリー」という考え方です。これはまだあまりよく知られていない概念だと思いますので紹介したいと思います。
私がこの言葉に接したのは今から40年ほど前、アフリカのナイジェリアにある国際熱帯農業研究所の理事として、年に二回そこへ出かけていた時のことです。
ナイジェリアではオクラはオクラという名でたくさん作られているなどという小さなことから、アフリカでの農業のあり方まで、初めて知ることばかりで、思い出す面白い話がたくさんありますが、今回はアグロフォレストリーに絞ります。
そもそもアフリカは混植と言っていろいろなものを混ぜて植えます。最初に見た時はなんといい加減なと思ってしまいましたが、大間違いで、強い日差しでよく育つ作物、日陰の欲しい作物など、それぞれに合わせた組み合わせを作って植えているのでした。でも欧米の人が主体の研究所では、刈り取る時の効率などを考えて畝を作ります。そんな中で考え出されたのが、トウモロコシとアカシアの木を一畝毎交互に植えるという方法です。アカシアはマメ科ですから、空中の窒素を固定しますので人工肥料を与えずにトウモロコシは育ちます。
日本では、田や畑の休耕時にレンゲソウを植えていたのを思い出しました。アカシアの木は、燃料にしたり、柵用の材料に使ったりします。つまり小さな森を作りながら、そこで自然の力を利用した作物づくりをするという、とても魅力的な試みです。人口肥料で土を痩せさせた近代農業の問題点を意識して、このような古くて新しい形でこれから発展する国を支えようという挑戦です。アグロフォレストリーにはもっと本格的な構想もありますので、また紹介したいと思います。
人間の歴史を振り返りますと、農業が森を壊す始まりだったことが見えてきますので、森を大切にしながら農業をしていこうという挑戦は今こそ重要です。森の力を農業に生かすことも大事です。とにかく人間の故郷は森林であり、地球での暮らしは「森林ありき」という考え方でなければ成り立ちません。崖線の緑を大切にすることは小さな事柄ですが、緑を基本に置くこれからの社会につながる大事なことです。
思いつくままに書き綴ってきたこのコラムも今年はこれで終わります。コロナ騒ぎでどなたも思うように活動できない日々をお送りになったのではないでしょうか。来年は思う存分活動できる年でありますように。佳いお年をお迎え下さいませ。